(32)思う存分生き、いい詩をつくりたかった スパイとして処刑された林和

2018/08/18 11:00

 人気作家、松本清張に『北の詩人』(昭和38年)という作品がある。主人公の詩人、林和(イムファ)(1908~53年)は実在の人物だ。詩集『玄海灘』などで知られ、日本統治時代の朝鮮で、左翼色が強い「朝鮮プロレタリア芸術同盟」(カップ、大正14年結成)の中心人物として活躍、戦後の昭和22年、北朝鮮へ渡ったが、28年8月の軍事裁判でアメリカのスパイと認定され、処刑された。

 『北の詩人』で、林はカップ解散(10年)前後から“転向し”密(ひそ)かに軍部などに協力していた「暗い過去」の発覚に怯(おび)える人物として描かれる。戦後、それを米諜報機関に弱みとして握られ、スパイとして北朝鮮へ渡ることを余儀なくされてしまう…という設定だ。小説なのか、実録なのか判然としないが、巻末には長大な軍事裁判の判決文まで掲載されている。

 作品の中で、林の「暗い過去」のひとつとして挙げられている仕事に、昭和16年7月に、日本陸軍の朝鮮軍報道部が製作した国策映画『君と僕』への協力があった。朝鮮人志願兵として最初の戦死者となった李仁錫上等兵をモデルに、志願兵制度や内鮮一体をPRするために製作された映画で、平成21年に、フィルムの一部が見つかり、ニュースにもなった。

 主役は、テノールの人気歌手、永田絃次郎(げんじろう)(金永吉)、相手役は満映出身の大スター、李香蘭という豪華キャスト(ほかに、三宅邦子、大日向伝、小杉勇らが共演)。監督の日夏(ひなつ)英太郎(許泳)も朝鮮出身である。林は映画の校正を担当したという。

 それが事実であったとしても戦時体制下で、林や永田ら朝鮮人でも軍部への協力を求められれば拒否するのは難しかっただろう…というより当時、多くの朝鮮人は同じ側として戦争熱に取りつかれていた。陸軍の朝鮮人志願兵制度がすさまじい競争倍率(昭和18年の採用予定約5300人に対し30万人以上が殺到)になっていたことは以前(25回)書いた通りである。

 

 林は、在日コリアンの活動家らに大人気だった『人民抗争歌』の作詞者としても知られている。テンポがよく、宴席などでは必ず飛び出したという。ところが林の粛清後、特に朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会、昭和30年結成)関係者の中では『人民抗争歌』はタブーになった。作曲者の金順男もまた北朝鮮へ渡った後、粛清され、行方知れずになっている。

 ■「二度殺された」詩人

 だが、林和が「米のスパイだった」という認定はかなり疑わしい。北朝鮮の初代権力者、金日成(キム・イルソン)(首相、国家主席)は独裁体制を確立するためにさまざまな罪状をデッチ上げ政敵を次々と粛清していったからである。林は、金日成のライバルであった朴憲永(元北朝鮮副首相、米スパイとして処刑)ら南朝鮮労働党一派の排除に連座させられたとみるのが妥当であろう。

 昨年12月に80歳で死去したジャーナリストの萩原遼(はぎわら・りょう)は、月刊『正論』平成18年6月号に、「北朝鮮にはめられた松本清張 『北の詩人』の奇怪な成り立ち」のタイトルで、同作における日本のスパイ→米のスパイという林の設定に異議を唱え、「北朝鮮側の主張をうのみにした」として、清張を厳しく批判した。

 《(林らの処刑は)金日成の判断の誤りによって朝鮮戦争が勝利できなかった責任を転嫁するための粛清裁判・殺人裁判であったことは今日では大方の認めるところです。…(清張は)金日成の殺人裁判に追随して林和をもう一度作品の上で抹殺しました》。そして、《金日成は朝鮮が生んだ優れた詩人を抹殺しただけでなく、日本の作家を使って文学の名の下に林和を抹殺させ、殺人裁判をあたかも事実であるかのように装わせた》のだと…。

 

 ■金正日の略奪愛の末に

 林が在籍したカップは、日本統治下の朝鮮で結成。前述した朴憲永らによる朝鮮共産党の影響を受け、ブルジョア文学に対抗するプロレタリア文学の牙城として、7つの支部、約300人の同盟員を擁し、文学のみならず映画、音楽、演劇、美術を包括する芸術団体に発展してゆく。

 世界的な舞踊家、崔承喜(チェ・スンヒ)の夫で戦後、北朝鮮の文化省次官を務めた作家の安漠(アンマク)、ザ・フォーク・クルセダーズの名曲「イムジン河」(北朝鮮では「リムジン江(ガン)」)や北朝鮮の国歌(愛国歌)の作詞者である朴世永(パク・セヨン)も、カップのメンバーとして活躍した。

 戦後、彼らの多くが北朝鮮へ渡るが、重用されたのは一時で、派閥争いに巻き込まれたり、独裁者の機嫌を損なったりして、林和と同じように、粛清されたケースが少なくない。

 とばっちりともいえる厄災が降りかかったのは作家の李箕永だろう。2代目の金正日(ジョンイル)が、女優の成(ソン)●(=くさかんむりに惠)琳(ソン・ヘリム)を見初めたとき、すでに彼女は人妻であった。その夫だったのが李の息子で、金正日は夫妻を離婚させ、強引に自分の妻にしてしまう。2人の間に生まれた長男が、マレーシアで暗殺された金正男(ジョンナム)である。

 金正日の略奪愛は絶対のタブーである。李は、北朝鮮の文学芸術総同盟委員長などの要職に就いたが、2000年代に金正日の指示で、北朝鮮の文学人名事典が編まれたとき、李の扱いの大きさに金正日が不快感を示し、やり直しを命じたという。以来、文学人名事典が刊行されることはなくなった。

 

 カップのメンバーが「社会主義の理想郷」と夢見た北朝鮮は、独裁者の指先一つで簡単に命さえ奪われてしまう悪夢のような国だった。日本時代の残滓(ざんし)を思わせる彼らの居場所など最初からなかったのである。

 『北の詩人』に印象的な林の独白があった。《思う存分生きて、いい詩をつくりたい。革命とか、思想とか、共産主義とかを離れて、自然の中に純粋な人生を凝視したい…》と。

 カップの活動は約10年間だった。内紛が絶えず、最後は日本の官憲によって相次いでメンバーが検挙され、解散している。

 だが、逆の見方をすれば、これほど左翼的な団体が曲がりなりにも約10年間、日本統治下の朝鮮で活動できたのだ。その時期は日本が世界に類を見ない緩やかな統治を行った「文化政治」の時代に重なる。近代文学も大きく発展した。=敬称略

 (文化部編集委員喜多由浩)